準富裕層に到達したジャズミュージシャン投資家の日記

ジャズサックス奏者です。これまで職を転々としながら、どうしたらフラフラしながらジャズを楽しくやっていけるかを考え続けた結果、投資家になればいいのでは!?と結論づき現在に至ります。

悲しきかな 欠乏マインド

何かが不足しているとき、それはあなたの生活において最も重用なものになります。

ある本の一節だが、これに付け加えて具体的な例があがっていた。極度に食事をあえない被験者たちの行動や思考についてだ。食事を取らせなければ身体的に痩せて小さくなっていく。しばらく経つと、脂肪がなくなっていき、しっかりとした座布団がないと座れなくなっていく。その頃にはフグのようにお腹だけ膨れ上がっていく。つまり飢餓状態だ。

しかし衝撃的な変化は脳内に起きた。継続的に食べ物を与えられなかった結果、精神に異常をきたし、食べ物のことしか考えられなくなったらしい。本を読んでも映画を観ても脳内に残る描写は食べ物が絡むところだけだったり、好き嫌いがなくなったり…皿までなめまわしたり………。つまり脳は欠乏している食べ物以外のことを無視するようになのだ。食べ物に対しての執着、依存の欠乏の誕生だ。

この欠乏マインドはお金にも当てはまるらしい。そして幼い頃の貧困などの結果、お金に執着する心が生まれるがらしい。

専門家ではないので、分からないが愛情に飢えた子供が、大人になって愛に飢えて性的な依存になったり……執着や依存の原因の一つかもしれないともおもった。

この本の筆者は中国の小さな集落で育ち、本当の貧困状態の中育ったらしい。その欠乏マインドを培っていく過程で

(この世で一番大切ものはお金である)など様々な思考を完成させたらしい。

 

 ここから考えるのは自分自身に欠乏マインドはあるのか、ということである。自分は母子家庭ではなかったのだが、父親が重度の身障者だったので、家計はほぼ母親の稼ぎのみだった。父親はそのくせ浪費家で、新車を3年目の車検毎に変えかえたり……趣向品を集めたり……という具合だった。母親の通帳は父親が管理していたようである。

よく金がない……とぼやいていたり。

いつ死ぬかわからないから、俺の好きなものを買うとか言い出して車買ったり、ステレオをいじくったり……。 

そんなことを小さい頃から聞いていたので、子供ながらに我が家はお金がないんだなぁとよく思ったものだ。今思うと、旅行って旅行は行ったことがほとんどなかったし、少し遠出といえば、実家や親族のいるところに行くぐらいだった。同級生が近くの不二家レストランでお誕生日会をやっていたり……最新のゲームソフトをクリスマスに買ってもらったり………自分の家とは違うなあ………って。

こんか環境だったからだろうか、俺も妹も酷くお金に小さい頃から気を使っていた。例えば、お金かかるからこの習い事、やりたいけどやめようとか………ほんとはこっちがほしいけど、高いからこっちの安い方にしようとか……大きくなったら早く沢山稼げるようになって、母親を助けようとか……。こんなふうに自然に欠乏マインドのようなものが身についたのだろう。その結果、大学も親に負担はかけられないし、自分自身、バークリー音楽院を出て借金を背負って音楽生活はできないなぁと思って、半年で中退してしまった。

帰国後、ジャズミュージシャンとして活動はしていたが、幼い頃培われてしまった欠乏マインドと一銭にもならない音楽的追求に挟まれて、苦しい20代だったように思う。お金への執着?ではないが、貧困実家のことを考えるとミュージシャンなんてしてられないよなって気持ちと、お金はいらないから音楽を追求していきたい気持ちと………で。

結局、自分の場合、欠乏マインドが勝ってしまった。日雇い労働しなからジャズやってても、ヒモみたいなことやってやってても、自分だけ満足にお金を稼いでいない罪悪感に悩まされる事も多かったし、将来の不安みたいなものがいつも心に残っていまった。いくら稼げは、この罪悪感が消えるのか………30万なのか50万なのか……まったくわからないのだが……。今思うと、これが自分のお金への欠乏マインドなんだろう。

奇跡的にミリオネアなったとしてもこの欠乏マインドは残るのだろうと思う。今現在、セミリタイアできる金額の資産額ができても、心の奥にある欠乏マインドのおかげで、しないのだから……。