準富裕層に到達したジャズミュージシャン投資家の日記

ジャズサックス奏者です。これまで職を転々としながら、どうしたらフラフラしながらジャズを楽しくやっていけるかを考え続けた結果、投資家になればいいのでは!?と結論づき現在に至ります。

明日 死ぬのならば………

俺はまだまだサックスもうまくなりたいし、やりたいこと、達成したいことが沢山あるので死にたくない。長く生きたいとも思わないが自分の理想に近づくのには時間がかかるし、その達成がどうか健康寿命の年齢であってほしいとも願う。死は誰にでもいつか訪れるし、死に方も人それぞれだ。いつ死ぬのか、どこで死ぬのか、どんな死に方をするのか、ほとんどすべての生物が自分の意志で死ぬことを決定することができない。例外的に、人間だけが自殺という自分自身で命の炎を消す選択肢をもっている。戦国時代の切腹のような自殺では、その崇高な意思や、潔さが美徳とされていることもあった。

  1. 明日死ぬなら今から何をするか
  2. 明日死ぬなら今日一日誰と過ごすか

この2つの命題は人生の核心に迫るものだとおもう。なかなか一つに決められない、一人に決められないということもあるだろう。これを考えるとき、実際に明日死ぬことはないだろうから、それはそれでいいと思う。大切になこと、大切な人が複数なのも素敵だ。

問題はその大切なことや大切な人が、現在の人生において、心の中心にいるかどうかだ。

例えば2の答えが子供のとき、休日出勤や残業が続いていて子供と関われない状態だったらどうだろう………

1の答えで、ニューヨークでサックスを吹きたいとか思っているのに、いろいろ忙しくしてその目標に向かって進めていないとか……

人は誰も明日、自分が死ぬなんて思っていない、いつ亡くなってもおかしくない末期ガンと戦っている患者さんだって、戦争の最前線で戦う兵士だって…………死を比較的近くに感じている人でさえ思わないのだ。

明日自分が死ぬなんて……。

 

だから一層ら平凡で平和な時間を過ごす自分たちは、いまいち、人生を真剣に生きられない。時間を浪費してしまう。

人には人の生き方、生活の仕方があるのてストイックに生きなければならないとは言い切れないが、何かを成し遂げたいと思うのならば、その物事が自分から離れた位置に居ないか、どうすれば近くにおいて置けるのか、定期的に考える必要があるかもしれない。